遜の箱舟

キリストのもとに憩い、生きづらさから避難しよう!

【礼拝】真理をつかさどる神と、真実を弄ぶ悪魔

 

Lies or Truth?

 

ハレルヤ~! 安田遜です。

ぼくは相当うたぐり深い性格で、疑いの目は自分自身にも向けられます。それは、だまされるのが怖いからです。ぼくはなにかを信じようとするとき、まずそれを信じたがっている自分を疑ってみます。それでもだまされることはあるでしょう。

詐欺師とは、実に巧妙に「ウソとまこと」を使い分けるものです。まっ赤なウソの中に、ほんの少しの説得力ある真実を交ぜ込まれては、なかなかウソを見破れません。なにせ、ほんとうのことも言っているのですから!

そんなズルい方法でぼくたちをだましつづけているのが、悪魔です。悪魔はどんな神学者よりも聖書に詳しく、どんな心理学者よりも人間を理解していて、その知識を見事に悪用しながら、ぼくたちを神から遠ざけています。そんな詐欺師に敗北を決定づけたのが、われらがイエス・キリストなのです( ̄^ ̄)ゞ

 

今回は、先々週9月13日の礼拝で牧師先生が話してくださった説教の内容を分かち合います。

 

  • この記事は、ブログ筆者が礼拝中に取ったメモをもとに綴ります。
  • 説教者の意図を損ねないと思われる範囲で、筆者独自の表現に改めている箇所があります。
  • 説教にない注を加える際は遜註で示し、実際の説教内容と区別します。
  • 内容はいくつかある聖書解釈の一説であり、必ずしも一般的な解釈とは限りません。
  • 筆者の所属教会は、日本キリスト教団が母体です。旧統一教会・エホバの証人・モルモン教、その他の新興宗教団体とは一切関係ありません。

 

2020年9月13日聖霊降臨節第16主日礼拝

この日は、新型コロナウイルスの感染予防策として「詩編」は交読せず、牧師先生の読み上げる声を聴いていました。読上げ箇所は、第65編6~14節

牧師説教は「真理の言葉を聞く」と題し、「ヨハネによる福音書」第8章37~47節から御言葉を学びました。

 

 

聖書の御言葉

今回は全文を引用すると長くなりすぎるため、筆者が『聖書 新共同訳』をもとに要約した文章を掲載します。ご了承ください。

 

37「あなたたちがアブラハムの子孫であることは知っている。だが、あなたたちはわたしの言葉を受け入れず、わたしを殺そうとしている。38わたしは父のもとで見たことを話しているが、あなたたちは父から聞いたことを行っている。」

 

39ユダヤ人たちがイエスに答えて、「わたしたちの父はアブラハムです」と言うと、イエスは言われた。「アブラハムの子なら、アブラハムと同じ業をするはずだ。40ところが、あなたたちは神の真理を語るわたしを殺そうとしている。あなたたちはアブラハムの業ではなく、41自分の父と同じ業をしている。」

彼らが「わたしたちは姦淫によって生まれたのではありません。わたしたちには、ただひとりの父がいます。それは神です」と言うと、42イエスは言われた。「神があなたたちの父ならば、あなたたちはわたしを愛するはずである。わたしは自分勝手に来たのではなく、神がわたしをお遣わしになったのだから。

43なぜ、わたしの言うことが分からないのか。それは、わたしの言葉を聞くことができないからだ。44あなたたちは悪魔である父から出た者であり、その欲望を満たしたいと思っている。悪魔は最初から人殺しで、真理をよりどころとしていない。悪魔は偽り者であり、またその父であるから、自分の本性に従って偽りを言う。

45しかし、わたしが真理を語るから、あなたたちは信じない。46あなたたちのだれが、わたしを罪に定められるのか。わたしは真理を語っているのに、なぜあなたたちは信じないのか。47神に属する者は神の言葉を聞く。あなたたちが聞かないのは、神に属していないからである。」

 

―「ヨハネによる福音書」第8章37~47節(独自に要約)

 

この箇所を Bible.com で読む

 

ユダヤ人を「悪魔の子」呼ばわりした神の子・イエスの悲願

高慢ちきな選民意識

今回のお話は、「ユダヤ人のほんとうの父はだれなのか?」がテーマです。ユダヤ人は自分たちがアブラハムの子孫であることを誇りとし、神に選ばれたという選民意識を抱いていました。「アブラハムの子=神の子」ということだからです。

ところが、ユダヤ人は神の子を自負しながらも、神のみもとから来られたイエスを拒み、さらには殺害しようとしました。貧しい大工の息子がキリスト(救い主)であるはずがない、そんなことを主張するのは神への冒とくにほかならない、と。

遜註

アブラハムとは、ユダヤ人(イスラエル民族)の先祖です。すべての人々を救いに導く者として神に選ばれ、神と特別な契約を結びました。旧新約聖書は、その契約に基づいて展開されています。

 

今回の箇所では、イエスとユダヤ人の、なかなかに激しい論争が展開されています。イエスは「わたしは父のもとで見たことを話している。ところが、あなたたちは父から聞いたことを行っている(38節)と、ご自分とユダヤ人の違いを明らかにされました。

一読すると、どちらも「=父なる神」を意味しているように思えます。また、「=アブラハム」と読むこともできるでしょう。

参考に口語訳を見てみると、後半部分を「あなたがたは父から聞いたことを行っている」と訳しています。つまり、イエスの父とユダヤ人の父を、はっきりと別の存在として書いているのです。それに基づいてイエスの御言葉を考えると、ユダヤ人の選民性を大胆に否定しておられるようにも思えます。

 

ユダヤ人たちはかなり腹が立っただろうと思います。ただ、彼らの反論はちょっと不思議です、「わたしたちは姦淫によって生まれたのではありません。わたしたちにはただひとりの父がいます。それは神です(41節)

それは、イエスに対する痛烈な皮肉でした。イエスは処女・マリアの胎を借り、聖霊(神の霊)によって受肉しました。でも当時の人々は、マリアが未婚のまま妊娠し、いわゆる“できちゃった婚”でイエスを産んだと思っていたのです。

ユダヤ人は「あなたは姦淫の女から生まれたんじゃないか。わたしたちは違う」と、あくまで神の子であることを主張しつつ、イエスをつみびと認定して、その御言葉を受け入れようとしませんでした。

 

ただ、イエスは「あなたたちがアブラハムの子孫だということは、分かっている(37節)とも言っておられます。イエスは、ユダヤ人が神に選ばれたことを否定されたわけではなく、彼らを神の御心に従うよう招いておられたのです、

 

おまえたちは、確かに神の子だ。それならば、おれが神から遣わされたキリストだと信じ、神の御心を受け入れるのが道理じゃないのか?

イエスの辛抱強い招きにもかかわらず、ユダヤ人は神の愛と御心を頑として受け取らず、救いの真理を理解することもありませんでした

 

イエスは「わたしの言っていることが、なぜ分からないのか。それは、わたしの言葉を聞くことができないからだ(43節)とおっしゃいました。耳で聞いても心で聴かない態度は、現代のぼくたちも同じでしょう。

イエスの語られることに耳を傾けられない原因は、その御言葉とぼくたちの考え方の間に、あまりにも大きな隔たりがあるからです。

 

“真実”を操る天才詐欺師にご用心

ユダヤ人の怒りのボルテージは、恐らく頂点に達しつつあったと思います。それはイエスも同じだったのでしょう、情け容赦ない“口撃”がとまりません、

あなたたちは、悪魔である父から出た者であって、その父の欲望を満たしたいと思っている。悪魔は最初から人殺しであって、真理をよりどころとしていない。彼の内には真理がないからだ(44節a)

の支配下に置かれた「悪魔の子」だと、ユダヤ人を厳しく断じたのです。しかも、「その父の欲望人殺し」をしたがっているのだ、と。文字どおりの「人殺し」はもちろんですが、むしろ、人間を神に反目させて苦しめてやろうというのが、悪魔の欲するところです。

 

では、悪魔の持っていない「真理」とは、いったいなんでしょうか? ――それは、聖書の中でも特に有名な、次の聖句に要約されています。

神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。

 

―「ヨハネによる福音書」第3章16節(新共同訳)

真理」とは、神の愛と御心による救いのこと。つまり、神のイエス・キリストの十字架による救いこそが、「真理なのです。

 

ところが、悪魔が、その「真理」をぼくたちに悟らせまいと策動します。そのときに使うのが、「ウソ」です。「偽り者であり、その父(44節b)と呼ばれるように、悪魔はウソを巧みに駆使します。

特に厄介なのは、真実を織り交ぜながらウソをつく、という点です。

例えば、イエスが荒野で40日間の断食をされたとき、悪魔は神の子なら、〔この神殿の屋根から〕飛び降りたらどうだ。『神があなたのために天使たちに命じると、あなたの足が石に打ち当たることのないように、天使たちは手であなたを支える』と書いてある(マタ4:6)と誘惑しました。あろうことか、聖書を引用して神の子に挑んだのです! サイコ野郎щ(゜゜щ)

 

〈荒野の誘惑〉では、悪魔は「ウソを使わない」という高等技術を見せました。悪魔が引用した聖句は、確かに「詩編」の一編であり、間違いなく真実だったのです。

ただ、悪魔の語る真実は、神の「真理」に対してはまっ赤なウソです。

悪魔の言葉はいつでも、ぼくたちを「真理」から遠ざけるように働いてます。悪魔はぼくたちの心をのぞき見て、その弱さと欲望につけ込んだ「都合のいい真実」をエサにするのです!

 

当時のユダヤ人と同様、ぼくたちも悪魔に吹き込まれた“真実”にとらわれているかぎり、心の耳で「真理」を聴くことができません。それが、イエスを信じることができない最大の理由です。

 

真実はいつもひとつ!

悪魔の子とは、悪魔の言葉に盲従する人のことです。そして、そのために「罪の奴隷」にならざるを得ない人のことです。一方、イエスは別の箇所で次のように言っておられます。

あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。」

 

―「ヨハネによる福音書」第8章32節(新共同訳)

イエス・キリストを信じる者は、永遠の命を持つ。この「真理」を受け入れることで、初めてぼくたちは悪魔の支配から完全に解放されます!

 

今回学んだように、悪魔の詐術は巧妙です。でも、有無を言わさぬような説得力ある言葉が「真理」を否定したとて、神の「真理」が消えてなくなるわけではありません。

ぼくたち人間にはもともと、神の子として生きる道、ただひとつしかないからです。

悪魔はその「真理」に手出しができず、十字架への道の入口に、「この先危険! 左の道を行け!」というような看板を立てることにしました。もちろん、その偽りの看板の後ろには、救いが厳然と存在しつづけています。

 

あなたが悪魔の看板を蹴飛ばし、「真理」の道を選び取ることを切望して、神はご自分の独り子を捨てられました。いま、あなたの知っている“真実”を手放し、イエス・キリストの御言葉に耳を傾けてください。

 

遜の黙想

イエス・キリストが神として、ぼくの知るカミガミの列に並ばれたとき、ぼくはもちろん自分を疑いました。2年以上疑いつづけたすえ、ぼくは神の「真理」に捉えられたのでした。「キリストは数多くいるカミの中のひとり」という“真実”が、ついに砕け散ったのです!

「キリストこそが、キリストだけが、唯一まことの神」という「真理」は、ぼくにはとても都合が悪く思われました。それまでの神概念が全否定され、寺社参拝・ゲンかつぎ・占いなどに費やしてきたお金や労力が、すべて水泡に帰してしまうからw

キリストを通して神の子とされたいまでも、悪魔の惑わしは終わりません。目に見える世界の“真実”を悪用して、目に見えない霊的な「真理」を疑わせようとするのです。まんまとその策略にはまり、悪魔に嘲笑を許したことが何度あったでしょうか

天の父なる神様、眼前の事象に動揺し、霊的な目を閉ざしてしまうことをゆるしてください。この世界で起こる物事を、真理に基づいて見分けられるように助けてください。アーメン。

 

 

 

引用の出典
  • 『聖書 新共同訳』(日本聖書協会)
  • 『聖書 口語訳』(日本聖書協会)
画像の出典(Pixabayより)