ハレルヤ~! 安田遜です。
ぼくは、2019年4月にイエス・キリストを信じ、イースター当日に初めて教会へ行きました。そのイースターと並ぶキリスト教の祭日と言えば、みんな大好きクリスマス!
さて、12月24日はクリスマス・イブといいますが、「イブ」ってなんのことかご存じですか? ぼくはつい先日、牧師先生に教えられて初めて知りました。
実は英語の evening の略で、「前夜」ではなく、たんに「夜」の意味だそうです。
クリスマスはキリスト教由来の行事ですが、日本ではもともとの意味合いはなくなって、大切な人と過ごすお祝いの日になっています。年末商戦にも貢献していますね☆笑
そこでこの記事では、本来のクリスマスの意味について綴ります。クリスチャンにとってもクリスマスがお祝いの日であることは変わりませんが、そのお祝いはだれに向けられているのでしょうか?
キリストの誕生をお祝いする日
物事の意味を知りたいときには、辞書が便利です。ということで、まずは「クリスマス」を『広辞苑』で調べてみましょう!
クリスマス【Christmas; Xmas】
(Xは「キリスト」のギリシア語表記の頭字。masは祭日の意)キリストの降誕祭。12月25日に行う。・・・聖誕祭。降誕祭。ノエル。
―新村出編『広辞苑 第6版』
とあるように、
イエス・キリストこそが、クリスマスの主人公なのです!
ではなぜ、ぼくたちはイエス・キリストの誕生を祝うのでしょうか?
なぜキリストの誕生を祝うのか?
ユダヤでは、新しい一日の始まりは日没です。つまり、ユダヤ暦でいうクリスマスは「12月24日の日没~12月25日の日没まで」ということになります。
冒頭でクリスマス・イブについて触れましたが、12月24日を「クリスマスの
(ご存じない方のために言いますと、キリスト教はパレスチナに興った中東発祥の宗教です。ヨーロッパではないんですよ!)
この24時間のうちに、ユダヤ人が何世紀も待ちわびていたある出来事が起こります。神がユダヤ人に約束していた重大な出来事――それが、
キリストの誕生です!!
キリストとは「メシア」というヘブライ語のギリシャ語訳で、日本語では「救い主」と表現されます。旧約聖書には、この救い主の到来が神の約束として必ず実現する、ということが書かれているのです。
見よ、このような日が来る、と主は言われる。
わたしはダビデのために正しい若枝を起こす。
王は治め、栄え
この国に正義と恵みの業を行う。
彼の代にユダは救われ
イスラエルは安らかに住む。
彼の名は、「主は我らの救い」と呼ばれる。
―「エレミヤ書」第23章5~6節(新共同訳)
旧約聖書の預言どおり、救い主として生まれたイエス。
神の約束の確かな成就として、この世に遣わされたイエス。
だからこそ、イエス・キリストの誕生は祝われるべきものなのです!
さて、「救い主」と言いますが、イエスはいったい、ぼくたちをなにから救ってくれるのでしょうか? そのことについてはもう少しあとに綴ります。
次は、イエスがどのように生まれてきたかを見ていきましょう。
マリアの処女懐胎
新約聖書の1ページ目を開くと、残念ながら読む気が失せますw イエスの系図がツラツラと、「図」と言いながら「文」で書かれているからです。
それによると、イエスの先祖の中にダビデという人がいます。
ダビデ像ってご存じですか? 素っ裸で片手に石を持ち、ハート形の瞳で遠くを見つめている、ミケランジェロのあの彫刻。そのモデルが、イエスの先祖です。
さて、「○○は××をもうけ、××は●●によって□□をもうけ・・・」という退屈極まりない文章を読みおえた先に、イエス誕生の前日談が語られています。
イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、2人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった。夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した。このように考えていると、主の天使が夢に現れて言った。
「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」
―「マタイによる福音書」第1章18~21節(新共同訳)
※読みやすくするため、改行位置を一部変更しております。
有名な〈処女懐胎〉のシーンですね。
マリアは婚約者のヨセフと一夜をともにする前に、聖霊によって赤ちゃんを身ごもりました。聖霊とは、神の霊のことです。
ヨセフは怖くなってマリアと別れようとしますが、それを天使がなだめ、生まれてくる男の子に「イエス」と名づけるように告げます。
イエスとは、「神は救い」という意味の名前です。
これはよくある名前だったそうで、現代日本風に言うと、祐太とか祐輔といったところでしょうか(祐も「神の助け」という意味)。
さらに天使は、その子が人々を罪から救うのだと言います。先ほどの答えが出ましたね。イエスはぼくたちを「罪」から救ってくれるのです。
と言われても、まだピンと来ないと思いますので、のちほど詳しく綴ります。もう少々お待ちを!
ユダヤ人は何世代にも渡って、旧約聖書で約束されたキリストの登場を待ち望んでいましたが、
「マリアの産む男の子こそ、あなたたちが待ち望んでいるキリストです!」
と、天使は言っているのです。
それから月満ちて、マリアは処女のまま男の子を産み、ヨセフは天使のお告げどおり、その子にイエスという名前をつけました。
クリスマスはキリストの誕生日なのか?
〈なぜキリストの誕生を祝うのか?〉では、12月24日の日没から24時間の間にイエスが生まれた、と書きました。でも実は、イエスの正確な誕生日はわかっていません。
だから、12月25日はイエス・キリストの誕生日だ、というのは間違いです。
12月25日は、あくまでも「イエスの誕生をお祝いする祭日」です。――が、牧師先生によると、12月25日をイエスの誕生日と仮定して、1月6日までがクリスマスなのだそうです。
- 12月25日 マリア、ベツレヘムで男の子を産む
- 1月1日 ヨセフ、男の子に
割 礼 を授けてイエスと名づける - 1月6日 外国の占星術師たち、イエスを訪ねて礼拝する
ちなみに、割礼とは男性器の包皮を切り取ること、つまり包茎手術のことです。神に選ばれたイスラエル民族の印として、生後8日目の男の赤ちゃんに施すことが定められていました。
さぁ、ちょっとした雑学を紹介したところで、次はいよいよ、「罪からの救い主」とはどういうことかについて綴っていきます。
十字架の意味を心に刻む日
イエス・キリストが十字架にかけられて刑死したことは、クリスチャンでなくても常識としてご存じだと思います。ただ、その意味を知っているという方は少ないのではないでしょうか?
もともと罪深い人間
イエスの死を語る前に、まずは「罪」について知る必要があります。
聖書には、人間はだれでも
神を忘れて自己中心的な生き方をすること・神の掟に背きながら生きることを、聖書では「罪」と定義しています。
そして、人間は生まれつき罪を犯す傾向にあるのだと。アダムとエバの時代から、それはまったく変わらない人間の性質なのです。
人間が死ぬのは、罪の結果です()。そして罪にまみれた魂は、神の裁きを受けたのち、地獄で永遠に苦しむことになります。
生まれながらに罪を負った人間の魂は、そのままでは天国に入れません。神は正義を貫く方であり、わずかな罪も見逃すことができないからです。
ローマ6:23a
罪が支払う報酬は死です。
(新共同訳)
でも、神はぼくたちを愛している、ということを忘れてはいけません!
「どうにかしてわが子たちを天国に迎えよう!」という思いを実現させるべく、神は地上に一人息子を遣わしてくれたのです。
罪についての詳細はコチラ
キリスト教でいう〈罪〉ってどんなこと?
あなたが天国に行けるなら・・・
神がぼくたちへの愛を示すために遣わしてくれた方こそ、神の独り子であるイエス・キリストです!!
イエスは自分の使命をはっきりと自覚し、人々に「わたしがキリストだ!」と宣言しました。ユダヤ人にとっては、何百年も待望した救い主です。
――が、ユダヤ人はイエスをキリストだとは認めませんでした。それどころか、神を冒瀆する重罪人として、イエスを厳しく裁きました。
イエスは顔にツバをかけられ、暴行と侮辱、さらに過酷なムチ打ちを受けたすえ、とうとう十字架にかけられてしまいます。
実のところ、イエスはまったくの潔白でした。ユダヤの地を治めていたローマ帝国の長官さえ、わたしはこの男に何の罪も見いだせない
(ルカ23:4)と明言していたのです。
イエスは無実のまま、もっとも残酷な刑によって、もっとも惨めに死にました。しかも、少しの抵抗も、ひと言の自己弁護もなく・・・。
これは聖書に書かれていないことですが、ぼくにはイエスの決意の言葉が聞こえるようです。どんな愛にもまさる、真実の愛の言葉が――
「わたしは、この命が惜しいとは思わない。
あなたの罪が赦されるなら、あなたが天国へ行けるなら」
イエスが罪なくして死んだのは、ぼくたち人間の罪の代償となるためでした。イエスの「身代わりの死」について、聖書はこう語っています。
罪と何のかかわりもない方を、神はわたしたちのために罪となさいました。わたしたちはその方によって神の義を得ることができたのです。
―「コリントの信徒への手紙 二」第5章21節(新共同訳)
十字架は神の愛の形
イエスは全人類の罪をひとりで背負い、十字架の上で身代わりの犠牲となって、ぼくたちを地獄から救い上げてくれました。
この犠牲によって、ぼくたちは完全に罪を赦され、ただイエス・キリストを救い主だと信じるだけで、天国行きが約束されるのです!
イエスがぼくのために命を捨てたことを考えると、「どうして?」と思います。ぼくはイエスのためになに一つしたことがないし、イエスを知らず、知ろうともしなかった人間です・・・。
「なぜ?」と思って聖書を開くと、「あなたを愛しているから」という答えが見つかります。キリストの弟子・パウロは、神の愛についてこう綴っています。
正しい人のために死ぬ者はほとんどいません。善い人のために命を惜しまない者ならいるかもしれません。しかし、わたしたちがまだ
罪 人 であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました。
―「ローマの信徒への手紙」第5章7~8節(新共同訳)
クリスマスとは、ぼくたちのために自分の命を捧げ、神の限りない愛を示してくれた救い主、イエス・キリストの誕生を喜ぶ日です。
あなたも、その愛に応えていただきたいと思います。ぜひキリストによる罪の赦しを受け入れ、ほんとうのクリスマスを一緒にお祝いしましょう(*^o^*)
デコレーションとサンタクロース
ここで、話題をガラッと変えましょう。
ノンクリスチャンの方にとって、「クリスマスと言えば?」という質問でまっ先に思い浮かぶのは、にぎやかなデコレーションとクリスマス・プレゼントだと思います。
そこでここからは、クリスマスの飾りつけとサンタクロースの由来について、牧師先生に教えていただいたことを交えながら紹介していきます! 諸説ありっ(>人<)
デコレーションの意味と由来
毎年クリスマスシーズンになると、街じゅうが楽しげな飾りつけで彩られますよね。それは、全国のキリスト教会も同じ。あなたの住む地域にある教会を、ちょっとのぞいてみてください(のぞくだけじゃなくてもいいんですよw)。
11月末~12月初めには、ツリーやリースが飾られているはずです。このころ、キリスト教会は待降節(アドベント)という特別な時期に入ります。
待降節は、カトリック教会で祝われる「聖アンデレの日=11月30日」にもっとも近い日曜日に始まります。この日から、キリストを迎える準備としてクリスマスの飾りつけをするのです。
アドベントクランツ
待降節はクリスマス・イブまでの約4週間で、その期間に4回の礼拝が行われます。会堂には〈アドベントクランツ〉という円形の
合計で4本あるローソクを4週間かけてともしながら、「世を照らす光」であるキリストの降誕を待ち望むわけです。そしてそれらのローソクは、それぞれ「希望・平和・喜び・愛」という、キリスト教の概念を表しているとのこと。
アドベントクランツの発祥はドイツの教会とされ、もともと祭壇の上の天井から吊り下げられていたそうです。それが一般家庭に普及する中で、テーブルの上に置かれるようになったといいます。
クリスマスリース
次に紹介する〈クリスマスリース〉は、一説ではアドベントクランツから派生したと言われています。いまさらながら、アドベントはラテン語で「(キリストの)到来」、クランツはドイツ語で「花輪・冠」という意味です。
キリストが十字架にかかるときにかぶせられたイバラの冠のイメージとして、トゲのあるヒイラギの葉が、クランツに使われるようになりました。常緑樹であるヒイラギは、「永遠」を表すのだそうです。
このクランツをテーブルに置くと食事のときに邪魔になるということで、ローソクをはずして壁にかけたものが、クリスマスリースの始まりだとされています。邪魔言うな(=_=)
クリスマスツリー
クリスマス飾りの代表格〈クリスマスツリー〉は、宗教改革で有名なマルティン・ルターに逸話があります。ある夜、木の枝のスキマから見える星空にいたく感動したルターは、ローソクで飾ったツリーを教会に設置したのだとか。
それがクリスマスツリーの由来かどうかはわかりませんが・・・、ローソクに代わって電飾が施されるようになったのは、エジソンの発明した白熱電球を宣伝するためだったという説があります。
また、ツリーの一番上に飾られる星は「ベツレヘムの星」と呼ばれます。「マタイによる福音書」第2章に記述のある、異国の占星術師たちを幼いキリストのもとへ導いた星を象徴しているのです。
キャンディーケイン
紅白の縞模様が特徴的な〈キャンディーケイン〉は、羊飼いの杖の象徴です。キリストはご自分のことをわたしは良い羊飼いである
(ヨハネ10:11a)と言っています。赤は十字架上で流された「キリストの血」を、白は「天国」を表しているそうです。
オーナメントボール
ツリーの飾りつけでよく使うボールを〈オーナメントボール〉といいます。現在はプラスチック製のものが主流ですが、昔はリンゴを飾っていたそうです。アダムとエバが食べてしまった“禁断の実”を象徴するとともに、幸せと豊穣を願って飾られるようになりました。
クリスマスカラー
最後は、クリスマスを華やかに彩る色についてです。クリスマスと言えば、赤・白・緑の3色が一般的だと思います。これはそれぞれ、「キリストの血・純潔または天国・永遠の命」を表しているとのこと。
こうやってまとめてみると、クリスチャンになって初めて意識するものばかりです。さて次は、クリスマスの名脇役とも言えるサンタクロースの話に移ります!
サンタクロースのモデルと最高のプレゼント
ぼくは小さなころ、ケンタッキーのカーネル・サンダースがサンタさんだと思い込んでいました。もちろん違って、聖ニコラウスという聖人がサンタさんのモデルだと言われています。
〈デイリーブレッド〉というクリスチャン向けサイトには、ニコラウスの物語が短く紹介されています。
ニコラスという人が、貧しい父親について耳にしました。3人の娘たちに十分食べさせることも、婚礼の準備もできません。そこで、秘密裏に助けようと、金の入った袋を窓から投げ入れました。するとそれは、靴や靴下を乾かしていた暖炉の床に落ちました。
この親子にとって、ニコラウスからの贈り物は最高のプレゼントになったことでしょう。驚きと喜びの入り交じった表情が目に浮かびます。
ぼくたちクリスチャンは、このときの親子以上に、最高のプレゼントを神から頂いています。それは、
イエス・キリストです!!
このプレゼントよりうれしいものは、なに一つありません。
キリストはぼくたちの罪を背負い、ご自分の命をなげうって十字架にかかってくれました。一度は墓に葬られましたが、それから3日目、キリストはふたたび立ち上がりました。復活したのです!
復活のキリストはいまも、父なる神の右の座で生きています。
ぼくの罪が赦されるように、ぼくが必ず天国に迎えられるように、父なる神に取りなしをしてくれているのです()。
ローマ8:34
だれがわたしたちを罪に定めることができましょう。死んだ方、否、むしろ、復活させられた方であるキリスト・イエスが、神の右に座っていて、わたしたちのために執り成してくださるのです。
(新共同訳)
このかけがえのないプレゼントをくれた神さまを、ぼくは心から讃美します。そして祈ります。
この最高のプレゼントをひとりで抱き締めるのではなく、たくさんの人と分かち合うことができますように。アーメン。
あなたも、どうぞすてきなクリスマスを過ごしてくださいね!
引用の出典
- 『聖書 新共同訳』(日本聖書協会)
- 新村出編『広辞苑 第6版』(岩波書店)
- デイリーブレッド(Our Daily Bread Ministries)
画像の出典(Pixabayより)
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