シャローム、安田遜です。
8月15日は、太平洋戦争が幕を閉じた〈終戦の日〉。戦争を経験した方々は毎年、その日をどのような心境で迎えるのでしょうか? ぼくにはとても想像できません。
ぼくの祖父は開戦当時、10歳くらいでした。たしかぼくが小学生のころ、その祖父からこんな話を聞きました、「戦闘機が飛んで来てな、そいつが落とした爆弾で、友達の腕がすっ飛ばされたんだよ」。その後、祖父は疎開先で終戦を迎えたそうです。
ぼくの所属する教会にも御年90を超えた長老がいて、「戦争中はね、お国のために命を捧げたいって本気で思ってたんですから、怖いもんですよ」と言っておられました。
その長老からぼくは、『信徒の友』というキリスト教誌を頂いていました。今回はその2020年8月号に掲載された内容をもとに、戦争協力を推し進めた戦時下のキリスト教会について綴ります。
軍国主義に迎合した日本基督教団
ぼくの所属する日本基督教団(にほんキリストきょうだん)は、1941年6月に設立されました。その約半年後の12月8日、日本軍がハワイの真珠湾を攻撃したことで、アメリカとの戦争が始まりました。
当時のマスコミが反米意識をあおったことで、一般民衆の間にも「戦意高揚」が起こります。その影響は国民生活の隅々にまで及び、学校では戦争教育が徹底されました。
ぼくは高校の日本史の授業で、戦時中に行われていたある儀式を体験することができました。若干うろ覚えなのですが・・・、黒板の上に掲げられた「御真影(ごしんえい)」に拝礼する、というもの。
御真影とは天皇の写真のことで、普段は幕で隠されていて、拝礼のときだけ見ることができたはずです。当時の天皇は“神”でしたから、むやみに顔を拝するのは畏れ多いということなのでしょう。
さて、教師は生徒を起立させ、「天皇陛下に最敬礼!」と軍人のように怒号を飛ばします。生徒は御真影に向かって深々と頭を下げ、教師の合図があるまで、絶対に顔を上げてはなりませんでした。
実際には、御真影は黒板の上でなく、学校構内の「奉安殿」というほこらのような建物に、教育勅語とともに保管されたそうです。
そのような戦争ムードは、キリスト教会にも入り込んでいました。いえ、教会のほうからそのムードの中へ積極的に入って行った、と言うのが正しいと思います。
キリスト教会は、戦争に反対しなかったのです。
もちろん、戦前から戦争反対を唱えていた教会もあったでしょう。一方、時代に合わせていこうとする教会は、「天皇陛下を崇拝することが神の御心だ!」と決めつけ、自ら戦時色に染まっていったようです。
当時の日本基督教団は、独自に〈国民儀礼〉を定めました。
〈国民儀礼〉には、国家斉唱・詔勅奉読・宮城遥拝(きゅうじょうようはい)などが含まれ、あらゆる集会でそれらが強制されました。キリスト教の団体が組織的に、そこまで徹底したとは驚きですよね。
さらに教団内では、戦争体制に奉仕するための〈基督教報国団〉が立ち上げられ、のちに〈教団戦時報国会〉に発展して、戦争を推進する国体に飲み込まれていきました。
〈報国会〉では戦勝祈願や陸軍病院への慰問・献金などについて話し合われ、どうすれば
戦時中の教団や教会は、ある思いを持っていたといいます。それは、
「国家に認められたい! 地域に受け入れられたい!」
ということ。戦争という異常な環境下で生き残るには、聖書の教えに反することでも、それを実行するほかに仕方がなかったのだと思います。ほんとうに悲しいことです・・・。
「神の民」を「皇民」とする教育方針
聖書には、次のような記述があります。
あなたは、あなたの神、主の聖なる民である。あなたの神、主は地の
面 にいるすべての民の中からあなたを選び、御自分の宝の民とされた。
―「申命記」第7章6節(新共同訳)
教会に集って神を礼拝する者は、すべて「神の民」だということです。そんな神の民たちを戦時中の教会は、「皇民=天皇の民」として教育しようとしました。
キリスト教会には「日曜学校」というものがあります。「教会学校」ともいいますが、聖書を通して子どもたちを教育するための学びの場、また信仰継承の場です。
日本基督教団は『教師の友』という冊子を発行し、日曜学校で子どもたちになにを教えるべきか、所属の教会に提案をしていたそうです。その冊子は、とてもキリスト教会のものとは思えません!
まず表紙の発行年は、「皇紀」で印刷されました。皇紀とは、初代天皇・神武が即位したとされる紀元前660年を元年とした、日本独自の紀年法です。そして、次のような祝祭日も取り上げられていました。
- 紀元節 神武天皇の即位日
- 天長節 天皇の誕生日
- 地久節 皇后の誕生日
- 大詔奉戴日 開戦記念日で毎月8日
日曜学校の子どもたちはクリスマスなどを祝う一方で、そのような記念日も併せて祝っていました。こうして教団は、子どもたちの「皇民化」を推し進めていったのでした。
『信徒の友』ではまた、当時のある幼稚園が紹介されていました。そこでは、園児たちが
子どもたちを洗脳したのは、教会の大人たちです。でも、その大人たちを洗脳・煽動したのはマスコミであり、勝ち目のない戦争に突き進んでいった国家だということを、忘れてはいけないと思います。
〈戦責告白〉に見るクリスチャンの役割
1967年、日本基督教団は、当時の総会議長・鈴木正久の名義で〈戦責告白〉を発表しました。その一部を抜粋します。
「世の光」「地の塩」である教会は、あの戦争に同調すべきではありませんでした。まさに国を愛する故にこそ、キリスト者の良心的判断によって、祖国の歩みに対し正しい判断をなすべきでありました。
・・・まことにわたくしどもの祖国が罪を犯したとき、わたくしどもの教会もまたその罪におちいりました。わたくしどもは「見張り」の使命をないがしろにいたしました。
心の深い痛みをもって、この罪を懺悔し、主にゆるしを願うとともに、世界の、ことにアジアの諸国、そこにある教会と兄弟姉妹、またわが国の同胞にこころからのゆるしを請う次第であります。
※読みやすくするため、改行位置を一部変更しております。
クリスチャンはどのような環境にあっても、自分自身の振舞いを通して神さまの素晴らしさを伝え(=世の光)、世の腐敗に対抗していかなければなりません(=地の塩)。
でもその役割を果たすのは、平時でも決して簡単なことではありません。戦時下という、毎日が生きるか死ぬかの瀬戸際にいたら、なおさら難しいのは当たり前のことです。
だから、ぼくは頭ごなしに当時のクリスチャンたちを責めることはできません。いま、戦時を生き延びたクリスチャンたちは大いに反省しています。その態度に学ばなくては、とぼくは思います。
戦時中のクリスチャンたちは、積極的に国家の過ちに加担しました。一方、ぼくは国内政治や国際情勢について、ほとんど無関心に過ごしてきました。
その無関心もまた、将来反省を促される態度だと思います。
最近ぼくは、巨大な隣国が裏でどのような悪事を働いてきたのかを知りました。その国とアメリカの激しい対立は他人事ではなく、日本の平和はもはや神話になりつつあることも知りました。
世界が明らかに平和から遠ざかっている中、無関心ほど怖いものはありません。自分のまったく気づかないうちに、不可抗力の濁流に飲み込まれてしまうからです。
教団は〈戦責告白〉の中で、「見張りの使命」という言葉を使っています。国内はもちろん世界にも目を向け、間違いを指摘しなければいけないのだと。それは、日本国憲法の前文にも書かれていることです。
ぼくはいままでの無関心を反省して、日本が戦争にはしった理由を改めて学びつつ、ぼくにできる「見張りの使命」について真剣に考えていきたいと思います。
* * *
今回は、太平洋戦争中のキリスト教会について綴りました。
ぼくは資料映像や映画などでしか戦争を知りません。しかも戦争の恐怖を肌身で感じたことがないから、たしかに怖いなぁとは思えても、正直、体験者や登場人物に感情移入しきれない。
戦争を肌身で感じたいなんて狂気じみた願望はないものの、戦争を知らないって、実は怖いことです。戦争の異常さを知らないってことは、またその異常な状況を招いてしまう可能性があるわけですから・・・。
この先、世界は未曾有の苦しみに見舞われる、と聖書は啓示しています。人間は戦争を起こすものですけど、キリストは平和を実現する人々は、幸いである
(マタイ5:9a)と語っています。
ぼくはまず、キリストによって心に平和を保ちます。キリストが、小さな平和の実現を助けてくれますように。小さな平和が広がって、より大きな平和を築くことができますように。アーメン。
引用の出典
- 『聖書 新共同訳』(日本聖書協会)
- 日本基督教団公式サイト
参考資料
- 『信徒の友』2020年8月号(日本キリスト教団出版局)
- ウィキペディア
画像の出典(Pixabayより)