遜の箱舟

キリストのもとに憩い、生きづらさから避難しよう!

「矛盾に満ちた神」への信仰を失いかけている話

 

顔を覆って悲しむ子ども

 

ハレルヤ~! 安田遜です。

長らくブログを休止状態にしていましたが、それは今後もしばらく続きそうです。というのも、ぼくが自分の信仰のあり方に疑いを抱いているからです。いえ、正直に言うと、信仰対象であるイエス・キリスト、神に対して、本格的に疑問を抱いてしまったのです、

 

 

全知全能の愛の神が、この世界を不完全につくり、しかも、そこに生きる人間を救われる人とそうじゃない人に分けたのは、いったいどうしてなんだ!?

 

ぼくはいまも変わらず、神は永遠の存在として全宇宙に君臨し、その摂理を支えている、決して揺るがない「存在たる存在」だと認識しています。そしてその神が、聖書に啓示されている「父・子・聖霊の三位一体の神」であることも認識しています。ノンクリスチャンの方にとっては、その認識は取りも直さず「信仰」ということになるのでしょう。

 

でも、神に対するぼくの情熱は、「信仰」から「認識」へと、はっきりと移り変わっているのです。

 

信仰には、神を神と認識したうえで、その神に自分の全存在を懸けるという、言ってみれば覚悟が必要になります。

自分のすべてを神に捧げる生き方をまっとうしたい、とぼくは本気で願っていました。それが覚悟と呼べるだけの堅固な意志だったかどうかは別として、以前抱いていた情熱は、もうほとんど残っていません。それほどまでに、神に関する矛盾を無視できなくなってしまったのです。

 

 

その矛盾は、「信仰」のひと言で封殺してしまうにはあまりに根源的なもので、冒頭に掲げた疑念に要約されています、

 

 

全能の神なのに、なんで?

神が愛なんだったら、どうして?

 

無神論的な価値観をひとつの価値観として受け入れることはできても、それを土台にして生きることが、ぼくにはできそうもありません。

ただ、神がつくり支配していると考えるには、この世はあまりにも不完全すぎると思うのです。神がぼくたちを愛していることを無条件に受け入れるには、あまりに理不尽が多すぎると思うのです。

 

要するに、すべてを捧げられるほどの存在には、神はなくなってしまいました

 

ぼくの感じている矛盾や疑問は、決してだれにも解決できるものではありません。だから、考えるだけ無駄だということは、十分理解しています。

そう言って、考えるのをやめたくもない。

ぼくの疑問に答えるような言葉はたくさんありますが、そのどれもが信仰心に訴えかけるものであり、もはや信仰を失いかけているぼくには、ただただ空虚に響きます。

 

矛盾を感じ、疑問を抱いている状態で、ぼくは神への信仰を保つことはできません。なんでも自分が納得した物事しか受け入れられない、ぼくの性格ゆえです。

 

 

では、ぼくがなぜイエス・キリストを信仰したのかと問われれば、その答えは「感動」だと言えるでしょう。神の壮大すぎる計画に、キリストの捨て身の犠牲に、単純に胸を打たれたのだと思います。

教会では、「クリスチャンの寿命はだいたい3年だ」と言われているそうです。信仰は3年もてばいいほうだ、ということ。“三年坊主”のクリスチャンには、聖書や説教に感動して洗礼を受けた人が多いといいます。なるほど、ぼくはご多分に漏れず、典型的な“三年坊主”になったようですねwww

 

ぼくが信仰生活に耐えられなくなったのは、自分の頭では測りえないことをあえて測ろうとする、ぼくの頑固さと傲慢さが原因なのでしょう。それは幼稚さとも言えますが、煮えきらない思いを無理に押し殺し、自分を欺いてまで神を礼拝するのが、健全な信仰だとも思えません。

まぁ、自分を正当化するような物言いですが、とにかくぼくは神を礼拝できなくなりました。そうなってしまった以上、自分をクリスチャンだと思うこともできないし、他人にそう名乗ろうとも思えません。

 

だから、いまははっきりと神から離れ、信仰を忘れて生きてみようと思います。

 

その視点から改めて神を見つめ、信仰というものを考えたとき、見えなかったものが見えてくるかもしれません。見えずに、そのままノンクリスチャンとして一生を終えることになるかもしれません。

もし後者の道をたどった場合、ぼくははなから神など信じていなかったのです。神はただ哲学と八つ当たりの対象に過ぎなかった、ということになるでしょう。そのとき、どんな裁きを下されるのか? まさに神のみぞ知るですが、それを恐れたところで、信仰の火を再燃させるものでもありません。

 

ところで、信仰から離れた手前、この〈遜の箱舟〉を閉鎖しようかとも考えました。でも、せっかくなので残しておきます。

神と信仰について考えたことなどを、気が向いたときに書き残すこともあるでしょう。そのときは、暇潰しがてら読んでくださるとうれしいです。

 

 

 

画像の出典(Pixabayより)