遜の箱舟

キリストのもとに憩い、生きづらさから避難しよう!

恐れや保身が確固たる決意をくじいてしまう

 

ショッピングモールの吹抜けから階下を眺める人々

 

ハレルヤ~! 安田遜です。

以前、夢から学んだという内容の記事を書いた。そこで今日は、ふと過去に見たある夢を思い出し、それを見て感じたことを綴っていく。今日は学びではなく、ただの感想だw

 

夢を見ているとき、どんなにありえないことが起こっても、「これは夢なんだ!」と思わないのが不思議だ。ごくたまに、夢を夢と自覚できるときがあるが。

夢の中のぼくは(ここから本題です!)、大きなショッピングモールにいた。ららぽーとなどは、だいたい1階から最上階まで吹抜けになっていることと思う。ぼくはその3階くらいにいたのだ。

それで手すりに体をもたれ、吹抜けから1階を見下ろしていた。そのとき、現実では絶対にありえないことが起こった。

 

ピンポンパンポ~ン。

「本日は●●●へお越しくださいまして、誠にありがとうございます。ただいまより、ご来店中のSさまを殺害いたします

ピンポンパンポ~ン。

 

もっとありえないことに、夢の中のぼくは、その放送を迷子のお知らせと同じくらいの感覚で聞いていて、まったく違和感や異常さを感じなかったのだ。ほかのお客さんも同じようだった。

Sさんと書いてはいるが、夢の中ではフルネームで呼ばれていた。それは架空の人物ではなく、実在の人物の名前だった。ぼくが以前働いていた職場の、ベテラン女性スタッフの名前だったのだ。

ふと横を見ると、そのSさん本人が、ぼくと同じような体勢で階下を見下ろしている、迫り来る死を知らぬ顔で。Sさんには放送が聞こえなかったのだろうか?

 

放送があってすぐ、ぼくの視界にもう一人の女性が飛び込んで来た。「飛び込んで」という陳腐な表現が、これほど適切に使えることはない。その文字どおりに現れたのだ。

女性の胸には座布団くらいの大きさの、茶色い米袋のようなものが抱えられていた。ぼくは直感的に、あぁアレで殺すんだな、と思った。直感は的中!

女性はSさんの背後へ行くと、米袋のような凶器を重そうに頭上に持ち上げ、重力には頼らず、自分の腕力でSさんの後頭部に強く打ちつけた。ぼくはじっとその様子を見ていた。

Sさんは気絶したのか、上半身を手すりの向う側へ投げ出して、ぐったりとしてしまった。たぶんまだ死んではいない、凶器は重いだけで比較的柔らかそうだったから。

 

さて、女性の仕事はまだ終わっていなかったようだ。女性はひょいとしゃがむと、両腕でSさんの両脚を抱きはじめた。実にテキパキとした仕事ぶりだ。ぼくはまた直感的に、彼女がなにをしようとしているのかを悟った。

悟りながら、Sさんを救おうとはしなかった。距離にして5メートルくらいだったと思う。助けようと思えば、十分に助けられる距離だ。

女性がSさんの足を抱えたまま、すっくと立ち上がる。Sさんの体は手すりの向こう、1階のかたい床の上にたたきつけられてしまった・・・。いつの間にか、殺人者の女性はいなくなっていた。

 

それで、ぼくはまた直感的にこう思ったのだ、

「あぁ、ぼくが殺したんだ・・・」

 

 

現実にこういうことが起これば、当然モール内は大騒ぎのはずだ。でも夢の世界では、人が上の階から落っこちて来ようが、まったくお構いなしのようだった。

――とも言いきれない。モール内は平然としているのだが、なにやら外側は違うようだ。パトカーのサイレンが聞こえてきた。

だれかが通報したに違いない。でも、騒ぎはまったく起こっていない。「高速道路でイノシシが死んでますから回収してください」的な通報だったのだろうか? どうもそうではないらしい。

 

ぼくは本館と別館をつなぐ渡り廊下に出て、外の様子を見てみた。とても同じ世界とは思えない。モール内の超然主義に反して、外には何台ものパトカーが停められ、すでに野次馬が大勢集まっている!

刑事らしき人物がパトカーの屋根に片腕を載せながら、忙しそうに部下からの報告を聞いている。その光景を見たぼくの気持ちはこうだ、

 

「・・・潔く自首しよう!」

 

別にぼくが直接手を下したのではないが、助けられたのに助けなかったのだから、ぼくが殺したも同然だと思ったわけだ。

しかもそのとき、「殺人の現場を見ました」ではなく、「ぼくがりました」と言うつもりでいたのだ。なんのメリットもない^^;

でもぼくはなぜか、恋人でもない女性の罪を肩代わりして、死刑になる覚悟を決めていた。そのときの決意は人生最大、これ以上ないというくらいの本気度だった。

 

意を決したぼくは、渡り廊下からまた館内へ戻り、エスカレーターで1階へ下りて行った。すれ違う人は、みんな超然主義者だった。

1階に着き、エントランスへ向かい、自動ドアをくぐると、空が西日でほんのり赤らんだ夕方になっていた。立入禁止の黄色いテープが目に入る。その向こうにはパトカーの群れ。

ぼくはドキッとした。自分の刑が執行される日のことが、突然頭をよぎったのだ。日本の死刑は絞首刑・・・。ほんとうに恐ろしい刑だ・・・。

 

絞首刑は、一瞬では死ねないらしい。ごくまれに失敗もするという。いまはどうかわからないが、外国では昔、失敗して首がもげてしまった死刑囚もいたとか。

だから、絞首刑は残酷だ。首にロープを巻かれて何メートルか下に落ちるわけだから、首の骨が砕けて、身長が30センチ近くも伸びることもあるそうだ。

 

パトカーを目の前にしたら、自分はそういうふうに死ぬのだと思って、ほんとうに怖くなってしまった。死刑になるのが怖くて、もう自首したくなくなった。

――で、逃げた!!

ついさっきの決意は、もうウソのように崩れてしまった。いや、そういう決意をしたこと自体忘れてしまって、パトカーに背を向けてひた走った。

この夢を見たとき、ぼくはもうクリスチャンだった。だから、自分が正しくないことをしているのはわかっていたのだ。目が覚める直前、ぼくは走りながらこうつぶやいていた、

 

「あぁ・・・、神を裏切った」

 

 

目が覚めて、ぼくはすぐにある人物を思い浮かべた。それで胸が締めつけられるように痛み、急いで聖書を開いた。次の箇所だ。

ペトロが下の中庭にいたとき、大祭司に仕える女中の一人が来て、ペトロが火にあたっているのを目にすると、じっと見つめて言った。「あなたも、あのナザレのイエスと一緒にいた。」

しかし、ペトロは打ち消して、「あなたが何のことを言っているのか、わたしには分からないし、見当もつかない」と言った。そして、出口の方へ出て行くと、鶏が鳴いた。

女中はペトロを見て、周りの人々に、「この人は、あの人たちの仲間です」とまた言いだした。ペトロは、再び打ち消した。しばらくして、今度は、居合わせた人々がペトロに言った。「確かに、お前はあの連中の仲間だ。ガリラヤの者だから。」

すると、ペトロは呪いの言葉さえ口にしながら、「あなたがたの言っているそんな人は知らない」と誓い始めた。するとすぐ、鶏が再び鳴いた。ペトロは、「鶏が2度鳴く前に、あなたは3度わたしを知らないと言うだろう」とイエスが言われた言葉を思い出して、いきなり泣きだした。

 

―「マルコによる福音書」第14章66~72節(新共同訳)

※読みやすくするため、改行位置を一部変更しております。

 

ぼくが思い浮かべた人物とは、ペトロだ。ペトロはキリストの一番弟子とも言える人で、ほかの弟子たちに先んじて、イエスをキリスト(救い主)だと告白した。

上の引用箇所は、キリストが逮捕された日の出来事だ。この時点でキリストの死刑はほぼ確実。つまり、弟子たちも連座して死ぬ運命だった、ということだ。

ペトロはそれが怖くて他人のふりをしたけれど、もともと主よ、・・・あなたのためなら命を捨てます(ヨハネ13:37)と豪語していたのだ。

 

ぼくは、その覚悟は絶対にウソではなかったと思う。そのときのペトロは、たとえ槍を突きつけられても、絶対に主のそばを離れるものか、と思っていたはずだ。ぼくは断言できる。

「あなたのためなら命を捨てる」それは、キリストの歓心を得るためのリップサービスなんかでは、絶対にない! では、どうして裏切ったのか?

 

怖かったからだ!!

 

ただただ怖かったのだ。十字架刑というのは、絞首刑など比にならないほど苦しいものだという。キリストも十字架にかけられてから、絶命までの6時間の間、ずっと苦しんでいた。

キリストはその前にムチ打ち刑も受けているから、相当弱っていたのだろう。普通は十字架の上で2、3日、生き地獄を味わいながら死んでいくのだそうだ。

当時は公開処刑だったから、もしかしたらペトロも、十字架刑の様子を見たことがあったかもしれない。自分があの囚人と同じ死に方をする・・・、考えただけで怖いだろう!

だからペトロは、自分がキリストに主張した決意をすっかり忘れて、「あんな人は知らない!」などと言ってしまったのだ。もう必死だったと思う。

 

そのあと、キリストの言葉を思い出して泣いた、と書いてあるけれど、キリスト救出のために手を尽くしたわけではなかった。ただ事の成行きを見ていただけだ、下手なことをすれば自分も殺されるから。

しかも、キリストが復活したという最高の吉報を知ったあとでさえ、怖がって家にひきこもっている(ヨハネ20:19)どう思いますかコレ?

ぼくは安全なウチの中で聖書を読むだけだから、「どんだけ情けないんだよ!」とツッコむこともあったけれど、実際にペトロと同じ状況に陥ったら、そんなことは言えないと思うのだ。

 

ぼくはだれかに命を狙われたことはない。命を狙われてる人を匿ったこともない。死刑の瞬間に立ち会ったこともない。拷問を受けたことも見たこともない。

だから、そういう恐怖をなんとなく想像することはできるけれど、ほんとうの意味で、肌身に感じて知ることはない。まぁ、まさか知りたいとも思わないが。

ほんとうの意味で知らない恐怖でさえ、しかも夢の中の恐怖でさえ、ぼくの“決意”をかき消してしまったのだ。ぼくはペトロを非難することはできない。

 

どんなに強く心に思っても、やっぱりぼくは弱いのだ。夢の中でさえ、あの体たらくなのだから・・・。自分の弱さに改めて気づかせてくれた夢だった。

 

と・こ・ろ・が!

キリストはそんな弱いぼくも、裏切り者のペトロも、赦してくれてしまうのだ。そして、弱さ・もろさ・背き、そういう罪を全部受けとめて愛してくれる。

「おまえたちの罪は、おれがこの体と一緒に十字架にかけてしまった。天のお父さまはおれを復活させてくださったが、罪を復活させることはなさらなかった。
お父さまはおまえたちの罪なんか、これっぽっちも覚えておられないんだ、おまえたちが自分の決意を忘れたようにな。だから、喜んで生きろ!」

 

ペトロの気持ちがほんの少しわかったことで、その分だけ十字架が鮮明に見えてきた気がする。あまり後味のいい夢ではなかったが、見られてよかったと思う^^

 

* * *

 

・・・とまぁ、今日の記事はなんだか中身があるようでない、ないようでちょっとある感じの、中途半端な内容になっちゃいましたね。あなたに評価をお委ねしますw

ちなみにペトロはその後、キリストから直々に教会指導者に任命されています。そして、ぼくはクリスチャンになるように導かれ、こうしてブログ伝道の役目を与えられています。感謝!

それは、あなたに「キリストの愛と救い」を伝えるためです。

ぼくの言葉選びが下手で、うまく伝えられていないかもしれません。でも、あなたの心がほんの少しでも、キリストの愛に近づいてくれることを祈っています。アーメン。

 

 


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引用の出典

  • 『聖書 新共同訳』(日本聖書協会)

画像の出典(Pixabayより)

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